2023年8月の記事一覧
亀井小学校応援歌 & 2学期開始のメッセージ
かつて近隣の小学校が合同で競い合っていた玉川班体育祭がありました。そこで歌われていたのが「亀井小学校応援歌」です。他の学校に負けないように、心を一つにして歌う応援歌は、当時の子供たちの魂に刻み込まれていたようです。今でも、50代以上の卒業生の方々は、応援歌を歌えるそうです。ですが、口伝によって歌い継がれてきたので、時代によって少し歌詞やメロディーが変化したこともあったようです。今回、開校150周年記念行事に向けて、亀小応援歌を復活させます。当日はぜひお楽しみください。
《亀井小応援歌歌詞》 一、六十余州に名を得たる鎌倉武士の四天王亀井の六郎いでし郷我らも腕並み揮えよや |
8月31日(木)、いよいよ明日から2学期がスタートします。校内を巡回していると、各教室の黒板には子供たちへ向けてのメッセージが書かれていました。夏休みが終わってしまうという気持ちもありますが、久しぶりに子供たちに会えることを考えると、胸が嬉しい気持ちで満たされます。明日、子供たちが元気に登校してくれることを願っています。
「今日はしっかり体を休めて、明日に備えましょう。」
亀井小学校の愛唱歌(旧校歌)
昭和50年に現在の校歌ができる以前、「亀井のこども」という曲が愛唱歌として歌われていました。作詞・作曲者の「小鷹直治」氏を調べてみると、昭和初期~20年代にかけて都内で音楽教育に携わっていた方だとわかりました。その後、昭和30年代~40年代には、都内や埼玉県内(小川町・竹沢小)の校歌の作詞・作曲者としてお名前が見られるようになります。後に、小鷹直治氏は熊井地区の方で、愛唱歌は昭和32~33年頃に作られたということがわかりました。この頃卒業した現在50代半ば~80歳位の方々には懐かしいのではないでしょうか。校歌の歴史を紐解きながら、当時の人々の想いにも触れることができました。
『 ↓ 亀井小愛唱歌 「亀井のこども」(昭和42年学校要覧より抜粋)』
※亀井小愛唱歌(楽譜をもとに復元).mp3
亀井小学校校歌の由来(再掲)
今から50年程前、昭和48年に亀井小は開校百年となりました。それを記念して、新しい校歌が制定されることになりました。当時、一般公募もされましたが、最終的には校歌の作詞者として知られる「下山つとむ」氏に作詞を依頼しています。下山氏は埼玉県の綴方教育(作文教育)の先導者であり、埼玉県内の多くの学校で校歌の制定に携わっています。また、作曲をした「土肥泰」氏も日本の作曲家、指揮者、ピアニストとして著名な方であり、校歌の作曲も数多くされています。学校には、昭和50年6月、制定された新しい校歌の発表会が開催された記録が残されていました。歴史ある亀井小の校歌をこれからも大切に歌い継いでいこうと思います。
今はなき「交通公園」
亀井小には、以前、敷地内に「交通公園」と呼ばれるものがありました。これは、当時(昭和47年12月)信号機も踏切もない静かな農村に住む子供たちが、経験不足から交通事故に遭うことを防ぐために設置されたものです。また、翌年には、県の交通安全教育推進校に指定され、その研究推進のための資金づくりとして、PTAの廃品回収運動がスタートしたそうです。当時から学校とPTA、地域が一体となり、地域ぐるみの運動として交通安全に取り組んでいたことに驚かされます。
「 ↓ 交通安全教育発表会の様子 奥に見える澤屋商店さんに歴史を感じます。」
PTA「早朝」環境整備作業
8月26日(土)早朝、子供たちや保護者の方々にご協力いただきながら、校内の除草作業を行いました。例年に増して草刈り機をたくさん持参していただき、生い茂る草を一掃することができました。久しぶりに会った子供たちも、元気いっぱいお手伝いしてくれました。1時間程度の作業でしたが、花壇も校庭の周囲も見違えるほどきれいになりました。お陰様で、晴れ晴れとした環境の中で2学期の学習、そして生活に臨むことができます。ご協力、本当にありがとうございました。
亀井小学区は、亀?
亀井小学校の学区を衛星写真で眺めると、何だか亀の形に見えます。高野倉地区に目玉を付けると、もう亀にしか見えません。各地区の境界線もまるで甲羅の模様のようです。しかも小学校の場所は、亀の心臓に位置しています。つくづく亀に縁が深いなと感じました。また、亀に限らず、どの地区の名称も水や自然に由来するものばかりです。「泉」「井」「沼」「竹」「熊」「橋」「江」「野」「田」。地名はその土地柄を表すといいますが、水源や自然が豊富な亀井地区ならではのことだと改めて感じました。
亀井小元校長先生のご訪問 & 鳩山町人権教育研修会
8月24日(木)朝出勤すると、二十数年前亀井小学校で勤務をされていた校長先生の訪問があったと、職員から報告がありました。近くに来たので懐かしくて立ち寄ったとのことでした。松風館が建てられる当時のことや、亀やうさぎのことを懐かしそうにお話されていたそうです。今回はお会いできずに残念でしたが、150周年記念事業のことをお伝えできたので、またの機会を楽しみにしたいと思います。地域の方々にとどまらず、亀井小に関わった多くの方々にも愛されていることを改めて感じる出来事でした。
午前中、町内の小中学校すべての教職員が集まり、鳩山町人権問題研修会が行われました。講師に日本AED財団理事の桐淵博先生をお招きし、「子どもたちのいのちを守るために~ASUKAモデルと小学校からの救命教育の推進~」として、お話をいただきました。救命活動は「すぐに、誰もが、皆でやる!」ことが重要であり、一分一秒が子供の命に直結します。学校で子供たちの命が失われる事態が起こることのないように、改めて強く決意する研修となりました。
玉川班教育研究会全員協議会・講演会
8月23日(水)、玉川班教育研究会全員協議会が行われました。4年ぶりに鳩山町・ときがわ町すべての教職員が一斉に集まり開催されました。教育講演会では、臨床心理士・公認心理師の中田富美代先生をお招きし、「アンガーマネジメン講座~児童生徒の対応に活かすために~」をもとにお話していただきました。久しぶりに全教職員が集まり研修を行うと、夏休みの終わりと新学期の始まりを強く感じます。2学期に備え、充実した研修となりました。
校旗の制定
学校沿革史をひも解くと、亀井小学校の校旗は、明治42年(1909)に制定されたとなっています。同年11月3日には校旗の披露式も行ったようです。しかし、制定までの経緯や校章のデザインの由来等について詳しい資料を見つけることができませんでした。引き続き調査をしていきたいと思います。
校章の由来を推察すると、校章の外側は、国花でもある「桜」、内側は「亀」がイメージされています。「桜」は、多くの小中高等学校で採用されており、多くの人々に愛されてきた花です。また、「亀」についても、この地域に愛されてきた名称です。地域に愛される学校として、シンプルなデザインの中にも、たくさんの思いや願いが込められているのだと思います。
「↓左 以前の校旗の校章 ↓右 現在の校旗(昭和48年新調)」
第3の松「赤松」
亀井小のシンボル「赤松・黒松」の他に、亀井小にはもう一本の「赤松」が植えられています。理科室前にひっそりと佇む「赤松」は、昭和58年(今から40年前)、現在の校舎が建てられた際に記念樹として植えられたものです。当時は、職員室前に植えられていましたが、校庭を使いやすくするために現在の場所に移植されました。樹齢はまだ若いですが、「赤松・黒松」の妹分とも言える「赤松」の存在も大切に受け継いでいきたいと思います。