2023年8月の記事一覧
納涼夏祭り
8月5日(土)、鳩山町の「納涼夏祭り」が4年ぶりに開催されました。非行防止パトロールの一貫として、今年初めて参加しましたが、小学生も中学生も挨拶やお礼のしっかりできる礼儀正しい子たちばかりでした。亀井小の卒業生からもたくさん声をかけられました。会場は大いに盛り上がっていましたが、特に締めの打ち上げ花火は圧巻でした。まるで花火大会に来たかのように、思わず感動で声を上げてしまいました。多くの人と夏の感動を共有できて、とても良い夜となりました。
亀井小の歴史的資料 & 熊井焼
8月4日(金)、開校150周年記念行事に向けて、耐火書庫や松風館に保管されている歴史的資料を整理しました。90年以上前のアルバムなど歴史的な写真もたくさん見つかりました。記念行事の際には、公開展示もしたいと思います。旧校舎の表札や校章、校訓の書かれた額など、現物資料もたくさん残されていました。校舎の移築や建て替えが繰り返されながらも、多くの歴史的資料が保管され続けてきたことをしっかりと受け止め、今後も大切に扱っていきたいと思います。
整理を進めていると、歴代の校長先生方が残された品々の中に、「熊井焼」の花瓶が見つかりました。熊井焼とは、江戸時代(1785年)に現鳩山町熊井で誕生し、昭和30年代まで続いていた焼き物です。椀、皿、急須、平鍋、徳利、花瓶など日用雑貨を中心に多くの焼き物が出土しています。昨年度は、鳩山町やときがわ町で展示会も開かれていました。貴重な焼き物なので、今は校長室に飾らせていただいています。
亀井の井戸
8月3日(木)、昨日、亀井六郎について調べていると、熊谷市に「亀井の井戸」と呼ばれる史跡があることがわかりました。気になったので学校帰りに立ち寄ってみると、田んぼや畑の広がる場所に史跡の表示がひっそりと立てられていました。枯れ草をかき分け、中に進むと石造りの小さな井戸を発見しました。縁に掘られた亀の字もうっすらとですが、確認できました。このような亀井の井戸の伝承は、他の地域にもあるようです。さらに、源頼朝や弘法大師、聖徳太子などにまつわる井戸や泉は全国いたる所にあります。これらの人物が水への信仰のシンボルとして崇められていたのだと思います。史跡を眺めながら、井戸に名を残す亀井六郎が、当時の人々にとって、崇めるべき大切な存在たったことを誇らしく感じました。
「亀井の井戸にまつわる伝承」 (参考:「熊谷デジタルミュージアム」、『熊谷の昔ばなし1-5』) |
亀井六郎重清
8月2日(水)、今日の亀井小は大きな動きがなく、平穏な一日でした。良い機会なので、「亀井六郎」について掘り下げてみました。亀井小の名称の由来となる「亀井六郎」は、源義経の四天王の一人とされ、歌舞伎の『勧進帳』の中にも登場する実在の人物です。『吾妻鏡』では、怒る頼朝に義経の起請文を届けた使者として亀井六郎の名が見られます。また、『義経記』では、弓矢の名手であったことや、義経最期の戦い「衣川の戦い」で奮戦した後、23歳で自害したことが伝えられています。これらの源平合戦が起こっていた当時、亀井六郎に与えられた比企郡内の領地が、亀井庄と呼ばれるようになったと考えられます。亀井六郎の出自は熊野の豪族とも伝えられていますが、諸説があり、その生涯は謎に包まれています。
「 ↓ 校長室に飾られている『勧進帳』の錦絵」
参考資料:『鳩山町史1 鳩山の歴史(上)』2006、鳩山町史編集委員会
『熊井毛呂神社史』2016、宗教法人毛呂神社
恵みの雨 & 亀井小の名前の由来
8月1日(火)正午近く、雷鳴と共に大粒の雨が降り始めました。久しぶりの恵みの雨に、花壇の草花や野菜が嬉しそうです。この雨は、金魚や亀たちにとっても、ひと時の恵みになったことと思います。一つ心配なのは、校庭の雑草です。恵みの雨は雑草にとっても、息を吹き返すチャンスとなります。この後、校庭が草原にならないかが心配です。
源義経の家来の一人に「亀井六郎」という人物がいます。この亀井氏の所領地が「武蔵国比企郡亀井庄」とされています。(※諸説あり定かではありません。)また、当時から岩殿丘陵~高坂台地一帯の地が「亀井庄」として伝承されてきました。そして、明治22年(1889年)に町村制を布いたとき、この伝承をもとにして、泉井村、大橋村、竹本村、須江村、奥田村、熊井村、高野倉村が合併し、新たに「亀井村」が誕生しました。この時、学校の名前が「亀井尋常小学校」に改められ、現在の亀井小学校の名前につながります。現在の地区名に「亀井」はありませんが、非常に由緒ある名前であることがわかります。
「 ↓ 合併以前の区割り(上図)、合併後の亀井村と今宿村(下図)」
参考資料:『鳩山町史2 鳩山の歴史(下)』2006、鳩山町史編集委員会